| 米海軍横須賀基地(Yokosuka Navy Base) |
| 「横須賀」と言えば、沖縄と並んで「在日米軍基地の街」をまず思い浮かべる人も多いであろう。米海軍太平洋第7艦隊極東司令部が置かれており、空母「キティーホーク」の母港でもあり、折に触れて新聞紙上をにぎわしている。 もともとこの地は「横須賀海軍工廠」より常に海軍との関わりを持ってきた。戦前は旧日本海軍横須賀鎮守府があったこの地を、更に拡張して現在の米軍横須賀基地がある。現在の海上自衛隊の基地も目と鼻の先にあるが、通常、横須賀基地と言うと米軍基地をまず思い浮かべるくらいで、自衛隊の方はどちらかというと、ちょっと影が薄いか。 横須賀の住民は日常的には米軍横須賀基地を「ベース」と呼ぶ。無論通常は基地関係者以外は立ち入ることが出来ないが、フレンドシップデー、さくら祭り、みこしパレードなど、季節毎のイベントの時と、横須賀市が「横須賀国際交流協会」に委託して年に数回実施される「日米親善ベース歴史ツアー」等を利用して基地内の一部を見ることが出来る。(イベントにより公開される地域や内容が異なる。)今回(2003年9月28日)この歴史ツアーに参加したので基地の一部を写真で紹介したい。(正面ゲート近辺、潜水艦、修理中の艦船、6号ドックなどは撮影禁止であった。) |
正面ゲートゲート近辺は撮影禁止で あったが、このくらい離れ れば許されると、勝手に 信じている。 国道16号線上で、横須賀 中央駅と汐入駅ほぼ中間 やや汐入よりに位置する。 左側の建物が管理棟であ る。 夕方になると、基地から帰宅する車で大混雑し「基地渋滞」となる。 以前、ゲートの右側にあったシンボルとも言うべき大きな錨が何故か撤去 されていた。(2004.6.2現在) ベースへの入口は他に三笠ゲートがある。 イラク紛争の最中でもあり、正面ゲートのセキュリティチェックは厳しいだろ うと覚悟していたが、何故か無チェック。ベース内でも銃を持った兵士の 姿を一人も見かけなかった。 |
関東大震災の碑大正12年9月1日の大震災の日、この基地内 でも病院を始め、古いレンガ作りの建物など 多くの被害が出た。壊れた燃料タンクから漏 れた燃料に よる火災も発生したとのこと。 大震災による犠牲者の方々の供養碑である。 上部の円形の部分には地震発生の時刻、11 時58分を指した時計が刻まれている。 |
エンブレムコンピュータ通信施設の建物。旧日本海軍では将校クラブと して使われていたという。 戸塚にある衛星電波受信機経由で 極東地域の艦船や基地との通信を行う。 むろん、中の状況を知るすべもないが、心臓部とも言うべきコン ピュータ通信施設などは地下深く隠されているのかと想像して いたので、そのさりげなさがちょっと意外であった。 |
横須賀製鉄所跡碑フランス人技師ヴェルニーによって 建設された製鉄所は横須賀造船所、 横須賀海軍工廠へと発展していった。 碑文はフランス語で書かれている。 台座部分に製鉄所のレンガが使わ れた。 |
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下士官クラブ。旧日本海軍の 船員クラブの建物。上部の飾りや 窓枠部など古い建物の重厚さを 感じる。 |
英語のストリート名がつけられている。(ただデザインは日本式)米本国と違って車は左側通行、日本語の標識。「郷に入れば、、、」と言うことか。 |
![]() 日本最古の 1号ドック (1871年建設) 全長約137m、 幅約29m |
3号ドック全長96m、 幅約18m (1874年) |
![]() 運良く我々の目の前で海水の導水が始まった。翌日海上自衛隊の艦船が修理の ため入港するのだそうだ。 |
![]() 2号ドライドック (1884年) 全長約150m、幅約32m 入港後、ポンプで海水を排水し てから船底などを修理する。 |
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ドライドックから対岸に見える ヴェルニー公園 かつて臨海公園と言われていた 頃は、基地反対の集会デモが 頻繁に行われていた。 現在でも月一回の定例集会が あるようだ。 |
| 艦船修理部門の看板 基地として大きな役割を担っている部門 西太平洋最大の修理施設でどんな艦船も 修理可能とのこと。従業員の9割が日本人。 その技術力は米海軍の中でも高く評価され ているようだ。 |
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泊船庵の碑 その昔、この辺りは白仙山という小さな 丘であったそうな。そこに夢窓国師 (1275年〜1351年)という高名な禅僧が 庵を構えていたという。 |
![]() 旗艦ブルーリッジ |
![]() 空母キティホーク 数少ない通常型の空母 何時の日かここも原子力空母の 母港になるのか。 |
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コサノパーク 元横須賀商工会議所会頭の 小佐野氏は基地と横須賀市の友好関係に尽力した。 その功績をたたえてこの名 前が付けられた。 海に面しており、猿島がすぐ そばに見える。春にはさくら の花が美しい。 |
![]() 小佐野氏の 記念碑 |
![]() やはりあった米国のシンボル マクドナルド |
サンドイッチ、 チキン、ドーナ ツ、ピザ、メキ シコ料理、中華 ↑全景 料理等、色々な店がある。 日本円も使える。 内部→ |
フードコート![]() |
![]() ボーリング場 |
![]() 診療所 |
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![]() ハイスクール |
![]() 郵便局 |
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![]() プレスクール |
![]() ショッピングセンター |
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![]() クレジットユニオン |
銀行 |
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![]() チャペル全景 |
![]() チャペル内部 |
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![]() 劇場 |
![]() 映画館 |
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住宅地域 |
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1945年の終戦後、連合軍が 最初に上陸した地点と言わ れている。 多くのボートが係留されて いた。 |
![]() 将校クラブの入口 |
![]() クラブ入口右にある方位盤 赴任地の方向に向かって手を 合わせたという |
![]() クラブ右手のデリーという店 ケーキ、クッキーなど市内では 入手できない物も売られている |
![]() 日本語の看板 |
![]() 海軍病院(工事中であった) |
![]() 旧日本海軍病院の門柱 関東大震災に耐えた。 |
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奉安殿 戦前、天皇皇后両陛下の御影が 納められていた。任地に発つ時は 必ず手を合わせていったという。 |
米海軍横須賀司令部一階には日米海軍 関係の貴重な写真や 記念物が展示されて いる。入口左には 日米海軍の司令長 官の写真がずらり。 |
![]() 一階の展示 |
在日米海軍の司令部及び極東司令部 かつての横須賀鎮守府の建物がそのまま 使われている。関東大震災後大正15年に 建てられた重厚な建物である。 屋上の旗はそこに表示されている星の数で その日に在勤している最高位の官位を表し ているのだという。 |
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| 一つ単純な疑問が湧いた。司令部と言えば、軍の幹部達がいるところ であろう。又重要な設備や資料もあるかもしれない。それが何でこんな にゲートに近い目立つ所にあるのだろう。正面ゲートを入るとすぐ斜め右 前方に見える位置だ。もしもテロリストに襲われたら防ぐ手だてがないの では。素人の余計な心配であろうが、地下に素晴らしいシェルター網が あるのかもしれない。 |
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戦後このベース内で働いた 日本人労働者に対する 「労働感謝の碑」 |
| ベース内の循環バスの停留所 一周に39分もかかる。それほど 広いと言うこと。 本数は時計回り/半時計回り共に 1時間に1〜2本。 |
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